彼方へ

‪高校の授業で漢詩を習った時、その詩と教科書の挿絵の美しさにいたく感動したことがある。

当時パスポートも持ってなかった私だが、何の気なしに「中国に行ってみたい」とこぼしたところ、周りは「民度が低い」などと言って、誰も応援してくれなかった。

その時は自分の想像と周囲の持つ中国への印象のギャップに少しだけ動揺したが、特に取り立てることもなく、自然と中国についての話をすることはなくなった。‬

‪その翌年、一部の中国人による過激な反日暴動が連日メディアに取り上げられた。

私は馬鹿だったので、自分が一年前に中国に行きたいと思っていたことすら忘れて、ちょっとした反中感情まで生まれた。なんなら大学で中国語を専攻しようと受験勉強を頑張っていたかつての同級生を内心嘲笑っており、至極最低の人間だった。ネット右翼同然の18歳なんて、本当に可愛げがない。本当に申し訳ないし恥ずかしい。

あれから5年以上月日が経った今、紆余曲折あってインバウンド旅客の対応に追われる日々を送っている。

初めは日本語も英語もわからないからといって、初対面で当たり前のように中国語で話しかけてくる人達に戸惑ったがらたくさんの方々との関わり合いの中で、中国人の方々の律儀で大らかな人となりに惹かれていく自分に気付いた。

目まぐるしく過ぎる日常の中で、今日突然、初めて漢詩を読んだ時に自分で描いた幻想的で美しい中国のイメージを、本当に突然、ふいにパッと思い出した。そしてそのあまりの美しさに、旅客で賑わう土曜日の朝の空港のチェックインカウンターのあたりを歩いていたにも関わらず、一瞬だけ周囲の音が消えた気がした。大袈裟かもしれないが、本当にそう感じた。

勿論、美しいだけの国なんてないし、政治的や歴史的な隔たりもあるだろう。幻想を抱いて実際の姿に落胆する未来もあるかもしれない。それでも、憧れと希望を持った若い芽を摘むような真似はしないようと強く願うばかりである。

人が外国語を話すのを聞くのが好き


仕事上外国語を話す機会が多い。その度、外国語を話すのは楽しいけどあんまり得意じゃないと感じる。
厳密に言うと、スペイン語イタリア語は結構得意だけど、英語が苦手だ。

スペイン語イタリア語は母音が私たち日本人にとってとても明瞭で、とても親しみやすい。
それに対して英語は、こう、ぬぁーーーっとしてて、さらーーーっとしてて、本当に「外国語!」って感じがする。だから英語が上手な人、もっと言うと、内容云々ではなく、発音が上手な人はかっこいい。

空港で働いていると中国人観光客が言わずもがな多い。 モンゴル人スタッフが中国人の対応になるとまるで声色が変わってしまうのだけれども、そのギャップがとても印象的で好きだ。

私のOJTの先輩(可愛い)は韓国語が得意で、よくヘルプを求められている。韓国語での相槌は「デー」と言うらしく(?)、凄く愛らしくて優しい先輩(可愛い)が「デー、デー、デー」って言ってる姿はまたなんとも素敵で。

さっきまで日本語でにこやかに私と話していた人が、突然外国語のスイッチが入ってペラペラと知らない言葉を話しているのを聞くと、不思議な気持ちになる。

言葉ってなんだろう、コミュニケーションってなんだろう、私は本当に言葉を理解しているのだろうか、理解していると錯覚しているだけなんじゃないか。

そんな思いを馳せながら宇宙を飛んでいると「それでね」って先輩(可愛い)がニコニコしながら話しかけてきて目がさめる。

人が外国語を話すのを聞くのが好きだ。
誰も知らないこの世の神秘に触れた気分になる。