私が見ているのは?

‪半年前くらいに入社してきた台湾の人(Kさんとする)は、日本語不自由ながらに頑張っていて、弱音も愚痴も言わずに前向きに取り組むその姿勢を私は心から尊敬していた。

しかしKさんの体調が優れない日に、他の先輩のサポートを受けながら仕事をしていたら、そこだけを見た人が「全然自分で仕事しようとしてないけど…新人って立場に甘えてるんじゃない?」という旨をKさんの教育係の人に言ってきたらしい。

その人の普段の人柄から、それは嫌味なわけではなく、1つの指摘として、あくまで優しさでその子の教育係の人に伝えてくれたようだ。

‪しかし、普段から「早く一人前になりたいです!」って笑顔で頑張っていて、私が中国語対応に困ってたら嫌な顔1つせずに駆けつけてくれるKさんが、ちょっと体調不良で頑張れないところを見られただけでそう判断されてしまったのはとても悲しいと思った。

それと同時に、私がいろんな人を見て「この人はこういう人」というのをなんとなくその場の雰囲気で決めつけてはいないかとハッとした。

私はKさんが入社した頃から縁があったので、Kさんのいいところや得意なところ、反対に改善点や苦手とするところをよく知っている。

だが、その他の人に対してはあまり関わる機会がないまま、偶然見かけたある一面をその人の全てだと思い込んではないだろうか?

誰だって調子や機嫌のいい時悪い時はあるし、得手不得手もあるのだから、断片的な情報からその人のすべてを決めつけてしまわないようにしたいと改めて思った。

最後に、折角Kさんの話が挙がったのでKさんの素敵なエピソードを紹介したいと思う。

ある日、他会社のおじさんに、ぶっきらぼうな訊き方をされて、その日本語の意味がわからなくて戸惑っていた。

噛み砕いて何度も説明してもらって最終的に理解できたみたいだけど、私が思わず「Kさんがネイティブじゃないのわかってるのになんでそんなわかりにくい言い方するんだろうねぇ!」ってボヤいた。

するとKさんは「でもあの人のおかげで新しい単語1つ覚えられました!」って笑いながら言っていて、あまりの眩しさにムスカ大佐になった私だった。

クソリプとお兄ちゃん

Twitterで、所謂✌️クソリプ✌️に至極丁寧に対応している人達を見るたびに思い出すことがある。

それは私が‪小学校5年生の冬頃だった。

その当時、「お友達の名前と住所を教えて」っていう悪質な電話が流行っており、学校では「絶対に答えず親に電話を代わるように」と言い付けられていた。

私はその電話が家に掛かってくること、ましてや個人情報を流出させることの恐ろしさまではわかってはいなかったが、大人達の真剣な顔つきを見て、ただならぬ雰囲気を感じてはいた。

そんなある日、満を持してその電話が私の家に掛かってきた。

「あ、これ、学校でみんなが言ってたやつ…」とすぐにわかったが、親は共働きで、その時家にいたのは、当時中学三年生のお兄ちゃんだけだった。今思えば受験生のはずなのに、私の遠い記憶によるとその時はゲームをしていた。よく高校に受かったな。

先生達は親に代わるようにと言っていたけど、親がいない場合はこの一見頼りなさそうな兄上に変わった方がいいのだろうか?

一瞬戸惑ったが、自分が対応しきれる自信もなかったので、恐る恐るお兄ちゃんに対応をお願いした。

お兄ちゃんは「お?」と言って受話器を取って相手の話を少し伺った後、大きな声で


「はーーー!?!そんなん知らんわボケーーー!誰が言うかバーーーーーカ!!!!アホ〜〜!!!!うんこうんこうんこ〜〜〜〜〜〜!!!!!!ぴぇ〜〜〜〜wwwwwww」


とだけ言い放ってから一方的に電話を切って「はい」と私に返した。

私はあまりの勢いとその稚拙さに茫然と立ち尽くしたが、お兄ちゃんはそんなの知らん顔でまたゲームの世界に戻ってしまった。



後に私が大学生、お兄ちゃんが社会人(なんと、看護師!)になった頃に当時の話をするも、当の本人は全く覚えていなかったが、「真っ当な対応やんけ」と開き直っていた。

思えば、友達の家には断っても断っても同じ電話が何度も掛かってきていたようだが、私の家にはそれ以降一度も掛かってこなかった。今思えば子供にあれほど馬鹿にされて相当ムカついたんだと思う。

確かに、分別のつかない子供に個人情報を訊き出すような大人に対して、真面目に向き合っても仕方ない。

どこから我が家の電話番号を入手したのか、どうしてそんな悪どいことをするのか、お前達は一体どこのどいつなのか。

大人になった今の私には奴らに問い詰めたいことは山ほどあるが、訊いたところではぐらかされるのが関の山。真面目に向き合うのが馬鹿馬鹿しくなってくるはずだ。それならばいっそ、とことん馬鹿にしてやればいい。

これはクソリプに関してもある程度当てはまると思う。

真のクソリプとは文字通りクソであり、私達がわざわざ同じ土俵に降りてあげて、わざわざ闘ってあげるまでもないのだ。

「しょっかしょっか〜〜wwww顔真っ赤だけど大丈夫でちゅか〜〜??wwww嫌だったんでちゅね〜〜wwww僕にはこの話題はちょっと早かったでちゅか〜〜?wwwwお家でママのおっぱい飲んでオムツ変えてネンネしましょうね〜〜wwww」って返事してブロックしてあげればいいのだ。

当時は茫然としたが、生きる上で(?)大切なことを教えてくれたお兄ちゃんに今は感謝している。

冷静さと想像力の豊かさについて

主に中高生を形容する場合に頻繁に使用される「多感」という言葉。確かに感受性や想像力豊かだったと思うけど、それは今もほとんど変わりない。

もっとも私の場合は、想像力というよりは、妄想や幻想に近いもの。様々なことに対して経験がないから、いろんなことを想像(妄想)を膨らませて胸を踊らすのだ。

ちなみに高校生の頃によくしていた妄想は、成宮寛貴似の35歳のイケメンエリート会社員と恋に落ちるとか、成宮寛貴似の孤独な美少年と逃避行するとか、成宮寛貴似の一橋大学の家庭教師に数学を教えてもらうとか。文字にすると改めて馬鹿馬鹿しく思う。だって、女子高生に手を出す35歳の会社員とか、今だったら絶対に関わりたくない。あと、一橋大学に拘ったのもよくわからない。多分一番名前のかっこいい名門大学だったからだと思う。本当に義務教育を受けたのかと疑うレベルで思考が稚拙。
ただ、成宮寛貴くん縛りに関しては異論はない。彼は私の中で永遠に憧れのイケメン像であり続けるだろう。

あの頃から今に至るまでの間、大恋愛をしたり、留学をしたり、失恋したり、就職したりした。全てが初めてのことだった。今まで何回も妄想に妄想を重ねてきた分、いざ自分のこととなると良くも悪くも夢を見ているような気持ちになり、感情が大きく揺れ動いている中でもどこかその状況を客観視している自分がいた。

「こんなことがあったら…」といろんな妄想をしていたおかげ(?)で、実際そういった場面に遭遇しても比較的冷静でいることができた。幸か不幸かは一概には言えないが、全ては自分の妄想癖のおかげだ。だから、どんな場面でも冷静でいられる人間は、意外に妄想癖のある夢見がちな人間なのかもしれない。

ちなみに最近の妄想は、小学生の頃から細く長く付き合いを続けていた相手と、遠距離恋愛の後、プロポーズされるという話。最初はただ、ピュアな小学生が両想いになるという微笑ましい話だったのに、いろんな試練を想像していく内にかなり凝った構成になっていった。また機会があればブログに詳しく載せたいと思う。

0318の夢と青春の話

今日は仕事が休みだったが、明日は超早という「タクシーで出社して4:30から仕事」という鬼のような勤務なので、早く寝るためにも有意義に過ごしたかったのに、二度寝して起きたら14時だったので絶望した。ダラダラするの大好きだけど、最近は時間が勿体無く感じるようになり、ダラダラしていても以前ほど満足度が高くないのが残念。

前置きが長くなったけど、今日は心臓の奥がキュッとなるような哀愁漂う夢を見たので、今の感情を記録に残したいと思う。

簡単に言うと、もう一度高校生をする夢だった。同じ高校に入学していたのだけど、あの頃と違うのはスポーツ推薦で入学していないということだった。つまりは、部活に入ってもいいし、入らなくてもいい。夢の中では「えー!部活どうしよっかなー!?」と飛び跳ねていた。2度目の高校生活、絶対に楽しんでやる!と意気込んだところで目が覚めた。

ここからは自分語りをしつつ、心の奥底に眠っている感情と向き合おうと思う。

中学時代に剣道で近畿大会出場を果たした私は、高校へスポーツ推薦で入学し、辛く苦しい2年半の部活生活を耐えた。中学生の頃は恩師とチームメイトに恵まれており、剣道が好きだった。だから全中じゃなくて近畿大会で終わってしまったのが悔しかったから、高校で念願叶えるために強豪校に入学した。しかし、高校の顧問やチームメイトとどうしても馬が合わず、いつしか私の目標は「インターハイ出場」から「早く引退すること」に変わっていた。そしてあれから数年経った今でも、インターハイに出れなかったことへの悔いはない。部活を通して得たものは確かにあったが、それは過去の自分の苦痛を否定したくないが為の言い訳に過ぎないのではないかと思う時もある。そして、部活さえなければもっと楽しくて輝かしい高校生活、もっと言えば、朝ドラのヒロインのような青春を過ごせたのではないか、という情けない後悔を未だに抱いている。

もう一度、高校生活を送ったところで私という人間は高校生の頃から殆ど変わっていないし、「朝ドラのヒロインのような青春」を過ごせたかどうかは怪しい。それでももう戻らない時間に対して、やけに哀しく、もどかしく思う瞬間があるなんて、あの頃の自分は思いもしなかった。もしかすると、今日のような14時まで寝て絶望するような休日をふいに思い出し、懐かしみながらも「もっと有意義に過ごせなかったのか」と悔やむことがこの先あるかもしれない。

0314夢日記

メリーポピンズ リターンズに出てくるトプシーがメリル・ストリープと聞いて「あらやだ!メリル・ストリープってあんな突飛な役もできるのね!素敵!」って思った。だからか、トプシーみたいなヤバめのおばさんが夢に出てきた。

トプシーの身長をもっと低くして、白髪のおかっぱにした不審者が学校(何故か小学生という設定)にやってきて、「あそこで人が倒れてる!!!なんとかしな!!!」と言ってきたり、英語があまり話せないと「そんな英語力でどうする!!!」と言いがかりをつけてくる。しかもめちゃくちゃ至近距離で怒鳴ってくる。暫くすると気が済んでどっか行くみたいやけど、怖すぎる。そんなトプシーに追われて逃げまくる夢。悪夢だった。

そこで一旦起きたが、また寝てしまって、今度は寝坊して仕事に遅刻する夢だった。妙にリアルで最悪だった。

元々今日の勤務が13:15〜やったけど、夢の中で13:48に起きていた。すぐに会社に電話したら女神様みたいな上司が「これから電話しようかと思ってたんです、体調悪いですか…?」って心配してくれて「違うんです、寝坊しました…!!!今から急いで行きます!」と大声を出す夢だった。

夢の中くらいゆったりと過ごさせて切に願うけど、夢というのは「脳内の記憶を精査するために見るもの」と聞いたことがあるので、よっぽど私の頭の中がとっ散らかってるのだと思う。部屋だけでなく脳みその中までこんまりメソッドで片付けられたらどんなに楽だろう。

「この記憶(苦い記憶)はときめきますか?」
「(嘔吐しながら)ときめかないです」
「では感謝をして、捨てましょう」
「はい、今までありがとう(ポイ)」

こんなくだらないことを日々考えているから、変な夢を見るのだとヒシヒシと感じるばかりである。

音と香りと記憶のかけら

ある時毎日聴いてた曲を、いつしか飽きて聞かなくなってしまうことはよくある。

また、ある時毎日つけていたヘアフレグランスやボディークリームなども、中身がなくなったタイミングで全く別のものに変えることもよくある。

そんな曲や香りと何かの機会で再会した時、当時の情景や心境を思い出して胸がキュッとなる。その少し切ないしんみりとした感情が私は大好きだ。

なんでこんなこと言い出したかというと、昔片思いをしていた時に聴いていたaikoの「ナキムシ」と「二時頃」という曲を久方ぶりに聴いたから。
あの頃は彼のことが大好きで、心から尊敬していたから、念願叶って付き合った後も自分に自信が持てなくて苦しい日々が続いた。時間が経ってから改めて聴いてみると、幸せなようで常に不安だった日々を思い出す。そしてもう痛いほど誰かを好きになることはないのかな、とちょっぴり寂しい気持ちにもなる。まぁ実際はセンチメンタルな顔して自分に酔ってるだけなんだけど。

ちなみに「さつまりこ」というお菓子の匂いを嗅ぐと、小6の修学旅行に持って行ったことと、当時音楽の授業で吹いていたリコーダーの曲を思い出す。ついでに図工の時間に余った材木を丸くして「いぼ」とか言って鼻につけてたことも思い出す。つらい。

排便と少女漫画が繋がる瞬間

突然だが、個室のお手洗いに入った時、その前に使用した人の大便の臭いが残っていると嫌な気持ちになるのは万国共通だと思う。
ただその嫌な気持ちを分析すると2つに分かれる。一つ目は単純に 「他人の大便の臭いなんか嗅ぎたくない」という感情だ。いたってシンプル。無印良品のようにシンプル。いや、ウンコの話から無印良品に飛躍すな。

もう一つは「私が大便をしたって思われるの嫌だな」という懸念である。公衆トイレなどでは後から入る人に知り合いなんてほぼほぼいないのに、何を気にしてるんだって話だけど、気にしてしまう。

色々と考えていくうちに、根本は「私が大便をしたわけじゃなくて、他人の大便やのに、臭いと思われること」が原因な気がしてきたので、様々な葛藤の末、私は一つの結論を出した。私がウンコをすればいいと。

他人のウンコやのに臭いと思われるのが嫌なら、自分がウンコをすればいいじゃない。マリーアントワネットもびっくりの理論である。

そしてその瞬間、断片的な少女漫画の記憶が突然蘇った。それは、とある高校生の男女の話。女の子が「ねぇ、私達が付き合ってるって変な噂が流れてるみたい….」と言うと、男の子が「噂を消す方法を教えてあげる。それは噂を事実にすればいいんだよ。」とキスをするのだ。

ウンコから無印良品に飛躍するだけでは事足りず、ウンコから少女漫画に飛躍させてしまう自分の脳みそに驚きが隠せない。今回感じたことは、ふとした瞬間に全く異なるもの同士が繋がりを持つ瞬間の微かなアハ体験のようなものと、自分の思考回路の程度の低さだった。