誰も幸せにならないけど優しい話

表題の通りの話をする。

私はスポーツ推薦で高校に入った為、本当に遊ぶ暇がなかった。(田舎だったのもある)

ある日、中学生の頃から履いていたローファーのサイズが合わなくなっただとか、壊れただとか、理由までははっきり覚えていないが、要は買い換えなくてはいけないタイミングがきた。

しかし、当時は6:24の電車で朝練に行って、スポーツ推薦なのに特進クラスにいたから朝練後に早朝授業を受けて、放課後に死んだ目で部活をして、帰宅は大体20:00〜20:30。帰宅後に授業の予習復習をして寝る、といった生活をほぼ毎日繰り返していたため、いかんせん、自分でローファー買いに行く時間が本当になかった。

なので、母が変わりに買ってきてくれたのだが、これが悲劇の幕開けだった。

詳しくは覚えていないが、買ってきてくれたローファーがそれまで使っていたブランドと異なり、サイズが絶妙に合わなかったのだ。ただ私は、母が折角買ってきてくれたのだからと我慢しようとした。通学の時しか履かないし、田舎だから電車はいつも空いてるし、まぁちょっとキツいけどいっか、って履いていた。

しかし、ひょんなことでそのことが父に発覚し、「サイズ合わんくてローファー買い直したのに、それがキツいんやったら意味ないやん」って話になってしまった。

母も働いていて忙しい中買ってきてくれたのでムッとして、「23.5cmって言われて買ってきた。それがいいと思った。」と。

しかし父は「それはお母さんが決めることちゃうやろ!」と一蹴。

母はいつも穏やかな父に少しキツく言われたことと、サイズが合わなくて足が痛いと言っていた私のことを思って、泣いてしまった。

それを見た父も、言い過ぎてしまったこと、母が泣いてしまったことに後悔して泣いてしまった。

更にそれを見た私も、なんかわからんけど私のせいで両親が泣いてると思うと悲しくなってきて泣いてしまった。


・・・収拾がつかなくなってしまった。


そこでリビングに彗星の如く現れたのは、前回のブログで紹介した少し変わった兄。

家族4人中3人が泣いている状況を見てただならぬ雰囲気を感じ取った彼が放った一言は「うわっ、泣いてるwww」というデリカシーのかけらもない台詞だった。

しかし、そのデリカシーのない一言で3人ともハッとして、和やかな雰囲気に戻ったのだ。

結局ローファーは履いている内に多少は馴染んできたので、まぁいっか〜というゆるい結論に落ち着いた(それでも窮屈さがないと言えば嘘になるが)。

母がわざわざ買ってきてくれたのに申し訳なかったし、父は父で私のことを思っての言葉だと思うといたたまれなかった。だから私が我慢するほかないんだと思ったし、何より当時の話になると両親共々「ごめんなぁ…」とまた泣きそうな顔をするので、もうこの話は切り出してはいけないと思っている。

でもこの話をブログに書こうと思ったのは、私がこれだけ親に愛されているという事実がとても嬉しくて幸せなことだからである。

今回は誰も幸せにならない話だったけど、でもそれはそれぞれの優しさが屈折してしまっただけ。表題の通り、誰も幸せにならないけど優しい話。

一人暮らしで、最近時たま凄く孤独を感じることがある。そんな時にこのブログを読み返して、自分が確かに愛されて育ってきたということを思い出すきっかけにしたいと思う。


最後に、兄の登場シーンを「彗星の如く」と言ったけど、慣用句の使い方絶対間違っていた気がする。そんな華やかなものでは決してない。「彗星の如く」というも、あたかも私たちを救うためにやってきたように解釈されてしまうけど、あれはどちらかというと、お菓子を食べにリビングに降りてきた様子だった。