不謹慎な想い

最近苺ジャムを買ったのでトーストやヨーグルトに入れて食べている。非常に美味しい。

カロリーが高いのは重々承知の上で「これでもか!」ってほどたっぷりジャムをのせて食べるのが幸せである。

昨日も仕事に行く前に苺ジャムをスプーンいっぱいに装ってヨーグルトに入れたのだけど、ふと幼き頃の記憶が蘇ってきた。

まだ幼稚園にも通っていないくらいの年齢の頃、ブルーベリージャムをトーストにのせて食べてね、と母親に言われた。

例に漏れずスプーン山盛りにジャムをのせ、そのうちの7割はトースト、残りはお口に放り込んだ。策士である。

それを見た母親は笑顔で「あ〜!今、ジャム食べたやろ〜!」と言って、ギュッと抱き締めてくれた。

今の今まで思い出しさえしなかったけど、ふいに病院の待合室で仲睦まじい親子を見て思い出した幼き頃の幸せな記憶。

最近は忙しいのを理由に全然本を読んでいないが、元々私は読書が好きだった。親に近所のTSUTAYAによく連れて行ってもらった。

そのTSUTAYAのお手洗いは建物の外にあり、私が用を足すまで母がずっとお手洗いの扉の前で待っていてくれた。無断でトイレに行ってはいけない、と躾けられていたのか定かではないが、小学校を卒業するくらいまで、いつも付いてきてくれた。

6年生になったある時、下着類を一切つけずに白いTシャツを着てショッピングセンターに遊びに行って、母から凄い剣幕で叱られたことがある。

あまりに過保護すぎるように感じられ、当時はあまり納得していなかったけど、今ならわかる。

世の中のおぞましく悲しい事件を目にする度に、不謹慎ながら私は母の愛に触れる。

イチゴジャムを頬張って抱き締められたことも、トイレの前で待っていてくれたことも、服装に口出しされたことも、形は違えど全て母の愛だったのだ。

それに気付いたからといって、今の私の生活が何か変わるわけではない。でも忘れないように綴って記録しておきたい。