0318の夢と青春の話

今日は仕事が休みだったが、明日は超早という「タクシーで出社して4:30から仕事」という鬼のような勤務なので、早く寝るためにも有意義に過ごしたかったのに、二度寝して起きたら14時だったので絶望した。ダラダラするの大好きだけど、最近は時間が勿体無く感じるようになり、ダラダラしていても以前ほど満足度が高くないのが残念。

前置きが長くなったけど、今日は心臓の奥がキュッとなるような哀愁漂う夢を見たので、今の感情を記録に残したいと思う。

簡単に言うと、もう一度高校生をする夢だった。同じ高校に入学していたのだけど、あの頃と違うのはスポーツ推薦で入学していないということだった。つまりは、部活に入ってもいいし、入らなくてもいい。夢の中では「えー!部活どうしよっかなー!?」と飛び跳ねていた。2度目の高校生活、絶対に楽しんでやる!と意気込んだところで目が覚めた。

ここからは自分語りをしつつ、心の奥底に眠っている感情と向き合おうと思う。

中学時代に剣道で近畿大会出場を果たした私は、高校へスポーツ推薦で入学し、辛く苦しい2年半の部活生活を耐えた。中学生の頃は恩師とチームメイトに恵まれており、剣道が好きだった。だから全中じゃなくて近畿大会で終わってしまったのが悔しかったから、高校で念願叶えるために強豪校に入学した。しかし、高校の顧問やチームメイトとどうしても馬が合わず、いつしか私の目標は「インターハイ出場」から「早く引退すること」に変わっていた。そしてあれから数年経った今でも、インターハイに出れなかったことへの悔いはない。部活を通して得たものは確かにあったが、それは過去の自分の苦痛を否定したくないが為の言い訳に過ぎないのではないかと思う時もある。そして、部活さえなければもっと楽しくて輝かしい高校生活、もっと言えば、朝ドラのヒロインのような青春を過ごせたのではないか、という情けない後悔を未だに抱いている。

もう一度、高校生活を送ったところで私という人間は高校生の頃から殆ど変わっていないし、「朝ドラのヒロインのような青春」を過ごせたかどうかは怪しい。それでももう戻らない時間に対して、やけに哀しく、もどかしく思う瞬間があるなんて、あの頃の自分は思いもしなかった。もしかすると、今日のような14時まで寝て絶望するような休日をふいに思い出し、懐かしみながらも「もっと有意義に過ごせなかったのか」と悔やむことがこの先あるかもしれない。

0314夢日記

メリーポピンズ リターンズに出てくるトプシーがメリル・ストリープと聞いて「あらやだ!メリル・ストリープってあんな突飛な役もできるのね!素敵!」って思った。だからか、トプシーみたいなヤバめのおばさんが夢に出てきた。

トプシーの身長をもっと低くして、白髪のおかっぱにした不審者が学校(何故か小学生という設定)にやってきて、「あそこで人が倒れてる!!!なんとかしな!!!」と言ってきたり、英語があまり話せないと「そんな英語力でどうする!!!」と言いがかりをつけてくる。しかもめちゃくちゃ至近距離で怒鳴ってくる。暫くすると気が済んでどっか行くみたいやけど、怖すぎる。そんなトプシーに追われて逃げまくる夢。悪夢だった。

そこで一旦起きたが、また寝てしまって、今度は寝坊して仕事に遅刻する夢だった。妙にリアルで最悪だった。

元々今日の勤務が13:15〜やったけど、夢の中で13:48に起きていた。すぐに会社に電話したら女神様みたいな上司が「これから電話しようかと思ってたんです、体調悪いですか…?」って心配してくれて「違うんです、寝坊しました…!!!今から急いで行きます!」と大声を出す夢だった。

夢の中くらいゆったりと過ごさせて切に願うけど、夢というのは「脳内の記憶を精査するために見るもの」と聞いたことがあるので、よっぽど私の頭の中がとっ散らかってるのだと思う。部屋だけでなく脳みその中までこんまりメソッドで片付けられたらどんなに楽だろう。

「この記憶(苦い記憶)はときめきますか?」
「(嘔吐しながら)ときめかないです」
「では感謝をして、捨てましょう」
「はい、今までありがとう(ポイ)」

こんなくだらないことを日々考えているから、変な夢を見るのだとヒシヒシと感じるばかりである。

音と香りと記憶のかけら

ある時毎日聴いてた曲を、いつしか飽きて聞かなくなってしまうことはよくある。

また、ある時毎日つけていたヘアフレグランスやボディークリームなども、中身がなくなったタイミングで全く別のものに変えることもよくある。

そんな曲や香りと何かの機会で再会した時、当時の情景や心境を思い出して胸がキュッとなる。その少し切ないしんみりとした感情が私は大好きだ。

なんでこんなこと言い出したかというと、昔片思いをしていた時に聴いていたaikoの「ナキムシ」と「二時頃」という曲を久方ぶりに聴いたから。
あの頃は彼のことが大好きで、心から尊敬していたから、念願叶って付き合った後も自分に自信が持てなくて苦しい日々が続いた。時間が経ってから改めて聴いてみると、幸せなようで常に不安だった日々を思い出す。そしてもう痛いほど誰かを好きになることはないのかな、とちょっぴり寂しい気持ちにもなる。まぁ実際はセンチメンタルな顔して自分に酔ってるだけなんだけど。

ちなみに「さつまりこ」というお菓子の匂いを嗅ぐと、小6の修学旅行に持って行ったことと、当時音楽の授業で吹いていたリコーダーの曲を思い出す。ついでに図工の時間に余った材木を丸くして「いぼ」とか言って鼻につけてたことも思い出す。つらい。

排便と少女漫画が繋がる瞬間

突然だが、個室のお手洗いに入った時、その前に使用した人の大便の臭いが残っていると嫌な気持ちになるのは万国共通だと思う。
ただその嫌な気持ちを分析すると2つに分かれる。一つ目は単純に 「他人の大便の臭いなんか嗅ぎたくない」という感情だ。いたってシンプル。無印良品のようにシンプル。いや、ウンコの話から無印良品に飛躍すな。

もう一つは「私が大便をしたって思われるの嫌だな」という懸念である。公衆トイレなどでは後から入る人に知り合いなんてほぼほぼいないのに、何を気にしてるんだって話だけど、気にしてしまう。

色々と考えていくうちに、根本は「私が大便をしたわけじゃなくて、他人の大便やのに、臭いと思われること」が原因な気がしてきたので、様々な葛藤の末、私は一つの結論を出した。私がウンコをすればいいと。

他人のウンコやのに臭いと思われるのが嫌なら、自分がウンコをすればいいじゃない。マリーアントワネットもびっくりの理論である。

そしてその瞬間、断片的な少女漫画の記憶が突然蘇った。それは、とある高校生の男女の話。女の子が「ねぇ、私達が付き合ってるって変な噂が流れてるみたい….」と言うと、男の子が「噂を消す方法を教えてあげる。それは噂を事実にすればいいんだよ。」とキスをするのだ。

ウンコから無印良品に飛躍するだけでは事足りず、ウンコから少女漫画に飛躍させてしまう自分の脳みそに驚きが隠せない。今回感じたことは、ふとした瞬間に全く異なるもの同士が繋がりを持つ瞬間の微かなアハ体験のようなものと、自分の思考回路の程度の低さだった。

臭いの自覚

ワキガの人間は、鼻の機能をシャットダウンするような強烈な臭いに気付かないという。だから、私も気付いてないだけだけでもしかしたらワキガかもしれないのだ。ちなみに、会社の先輩で2人、ワキガのような人がいる。1人は疑惑で、もう1人はほぼ確信している。

頭や足の臭いに関しては自分で気付く。汚い話だが、私は風呂に入った後の髪の毛を乾かしたりする一連の行為が面倒なあまり、休みの日には当たり前のように風呂に入らず一日中引きこもっている時がある。でもそんな時、頭と足が臭いと感じる。頭はなんとも言えないムッとした臭いで、足の臭いに関しては割愛する。ちゃんと臭いことを理解しているつもりだ。だから引きこもっているのだ。決して威張ることではないが。

では、口臭はどうだろうか?接客業をしていると、時たま「胃で下水の処理でもしていらっしゃるのかな?」ってくらい吐く息が臭い人がいる。(もし本当に胃で下水の処理をしていらっしゃるのであれば、そのおかげで便利に暮らせていることに感謝しなくてはいけない。)

気のせいかもしれないけど、ドブみたいな口臭する人は比較的顔が近くて、この前Twitterで見た「アナタクチクサイ!」と叫んだ外国人みたいになってしまいそうになるのを必死で堪えている。

ああいう方々は自分の口臭で気持ち悪くなったりしないのだろうか。ワキガと同様に自覚症状がないのだろうか。そうすると、私もひょっとすると人の健康に害を及ぼすレベルで脇や口が臭い可能性もゼロではないのか。

そう思うと、人間持ちつ持たれつで生きてるんだなと実感するし、臭くても黙っていてくれる友人同僚家族には頭が上がらない。日々疑問に思うくだらないことをそのまま言語化すると、私が脇も口も頭も足も臭い最悪な女みたいになってしまったのが納得できないが、今日はそんな身の回りの人たちへの感謝の気持ちを抱きつつ、念入りに歯と脇と頭と足を念入りに洗おうと思う。

彼方へ

‪高校の授業で漢詩を習った時、その詩と教科書の挿絵の美しさにいたく感動したことがある。

当時パスポートも持ってなかった私だが、何の気なしに「中国に行ってみたい」とこぼしたところ、周りは「民度が低い」などと言って、誰も応援してくれなかった。

その時は自分の想像と周囲の持つ中国への印象のギャップに少しだけ動揺したが、特に取り立てることもなく、自然と中国についての話をすることはなくなった。‬

‪その翌年、一部の中国人による過激な反日暴動が連日メディアに取り上げられた。

私は馬鹿だったので、自分が一年前に中国に行きたいと思っていたことすら忘れて、ちょっとした反中感情まで生まれた。なんなら大学で中国語を専攻しようと受験勉強を頑張っていたかつての同級生を内心嘲笑っており、至極最低の人間だった。ネット右翼同然の18歳なんて、本当に可愛げがない。本当に申し訳ないし恥ずかしい。

あれから5年以上月日が経った今、紆余曲折あってインバウンド旅客の対応に追われる日々を送っている。

初めは日本語も英語もわからないからといって、初対面で当たり前のように中国語で話しかけてくる人達に戸惑ったがらたくさんの方々との関わり合いの中で、中国人の方々の律儀で大らかな人となりに惹かれていく自分に気付いた。

目まぐるしく過ぎる日常の中で、今日突然、初めて漢詩を読んだ時に自分で描いた幻想的で美しい中国のイメージを、本当に突然、ふいにパッと思い出した。そしてそのあまりの美しさに、旅客で賑わう土曜日の朝の空港のチェックインカウンターのあたりを歩いていたにも関わらず、一瞬だけ周囲の音が消えた気がした。大袈裟かもしれないが、本当にそう感じた。

勿論、美しいだけの国なんてないし、政治的や歴史的な隔たりもあるだろう。幻想を抱いて実際の姿に落胆する未来もあるかもしれない。それでも、憧れと希望を持った若い芽を摘むような真似はしないようと強く願うばかりである。

人が外国語を話すのを聞くのが好き


仕事上外国語を話す機会が多い。その度、外国語を話すのは楽しいけどあんまり得意じゃないと感じる。
厳密に言うと、スペイン語イタリア語は結構得意だけど、英語が苦手だ。

スペイン語イタリア語は母音が私たち日本人にとってとても明瞭で、とても親しみやすい。
それに対して英語は、こう、ぬぁーーーっとしてて、さらーーーっとしてて、本当に「外国語!」って感じがする。だから英語が上手な人、もっと言うと、内容云々ではなく、発音が上手な人はかっこいい。

空港で働いていると中国人観光客が言わずもがな多い。 モンゴル人スタッフが中国人の対応になるとまるで声色が変わってしまうのだけれども、そのギャップがとても印象的で好きだ。

私のOJTの先輩(可愛い)は韓国語が得意で、よくヘルプを求められている。韓国語での相槌は「デー」と言うらしく(?)、凄く愛らしくて優しい先輩(可愛い)が「デー、デー、デー」って言ってる姿はまたなんとも素敵で。

さっきまで日本語でにこやかに私と話していた人が、突然外国語のスイッチが入ってペラペラと知らない言葉を話しているのを聞くと、不思議な気持ちになる。

言葉ってなんだろう、コミュニケーションってなんだろう、私は本当に言葉を理解しているのだろうか、理解していると錯覚しているだけなんじゃないか。

そんな思いを馳せながら宇宙を飛んでいると「それでね」って先輩(可愛い)がニコニコしながら話しかけてきて目がさめる。

人が外国語を話すのを聞くのが好きだ。
誰も知らないこの世の神秘に触れた気分になる。