華々しいスペインでの孤独

スペインのアストゥリアス州オビエドというところに大学生の頃、約8ヶ月間留学していた。

留学、とりわけそれがヨーロッパとなると非常に華々しいイメージを持たれがちだが、私にとって留学を代表する言葉は『孤独』だった。

例えばどんな風に孤独を感じていたか、思い出を語りたい。

留学中、お金もあまりなかったので、暇なときは運動がてら家の近所を一人で散歩をしていた。

そしてポツポツと家が並ぶ田舎町をぼんやりと眺めながら、「この道をずっと歩き続けたらどこに着くんだろう?」と考えた。

オビエド自体が山で包囲されたところなので、きっとどこかの山の麓に着いて、遭難して帰れなくなるだろう。私は何があっても自分一人ではどこにも行けないような恐ろしい気持ちになった。

うまく説明できないけど、どんなに頑張って歩いてもこの街からは出られないし、出たとしても今度は海を渡らないと日本には帰れない(当たり前)という事実が、自分の今いる場所と母国への遠さを感じさせた。

またある時、夜が深まっていく空港で人が行き交うのをぼんやりと眺めていたら、「空港にはいるのに、私は日本へ帰れない」という気持ちが強くなって、念願だったポルトガル旅行を前に少し泣きそうになったこともある。

留学先に着いてからすぐにホームシックになった友人もちらほら見受けられたが、私にとっての孤独とはそういった類の衝動的なものではなく、慢性的にぼんやりと心の中に抱えているものだった。

同じ大学の交換留学で来ていた友達とは根本的な部分で馬が合わなかったので、どうしても悩みを吐露することはできなかった。

ホストファミリーは本当に慈悲深い人たちだったので、そのおかげで幾分孤独は紛れることもあったが、どうしても本当の家族ではないということを痛感する瞬間というものがあり、自分の中でどこか一線引いているところがあった。

孤独を感じるけど誰かと一緒にいたいわけではなかった。だから、孤独を強く感じ心が限界に近づいた時、私は一人で旅行に行っていた。

スペインの宿の料金体系として、Arbergue(ホステル)

不謹慎な想い

最近苺ジャムを買ったのでトーストやヨーグルトに入れて食べている。非常に美味しい。

カロリーが高いのは重々承知の上で「これでもか!」ってほどたっぷりジャムをのせて食べるのが幸せである。

昨日も仕事に行く前に苺ジャムをスプーンいっぱいに装ってヨーグルトに入れたのだけど、ふと幼き頃の記憶が蘇ってきた。

まだ幼稚園にも通っていないくらいの年齢の頃、ブルーベリージャムをトーストにのせて食べてね、と母親に言われた。

例に漏れずスプーン山盛りにジャムをのせ、そのうちの7割はトースト、残りはお口に放り込んだ。策士である。

それを見た母親は笑顔で「あ〜!今、ジャム食べたやろ〜!」と言って、ギュッと抱き締めてくれた。

今の今まで思い出しさえしなかったけど、ふいに病院の待合室で仲睦まじい親子を見て思い出した幼き頃の幸せな記憶。

最近は忙しいのを理由に全然本を読んでいないが、元々私は読書が好きだった。親に近所のTSUTAYAによく連れて行ってもらった。

そのTSUTAYAのお手洗いは建物の外にあり、私が用を足すまで母がずっとお手洗いの扉の前で待っていてくれた。無断でトイレに行ってはいけない、と躾けられていたのか定かではないが、小学校を卒業するくらいまで、いつも付いてきてくれた。

6年生になったある時、下着類を一切つけずに白いTシャツを着てショッピングセンターに遊びに行って、母から凄い剣幕で叱られたことがある。

あまりに過保護すぎるように感じられ、当時はあまり納得していなかったけど、今ならわかる。

世の中のおぞましく悲しい事件を目にする度に、不謹慎ながら私は母の愛に触れる。

イチゴジャムを頬張って抱き締められたことも、トイレの前で待っていてくれたことも、服装に口出しされたことも、形は違えど全て母の愛だったのだ。

それに気付いたからといって、今の私の生活が何か変わるわけではない。でも忘れないように綴って記録しておきたい。

2020/1/9 夢日記

‪さっき見た夢が壮絶だったので記録に残したい。

まず、敬愛するQuiz Knockの伊沢拓司さんが私の恋人という設定(全国の伊沢拓司ファンの皆様ごめんなさい)。

私が風呂場を盗撮か覗きされて、温厚な伊沢さんが怒ってんの。ほんでその犯人がいるらしいから行ってくる!ってこめかみに青筋立てながら言うもんやから私は怖くなって止めようとすんねん。

‬ ‪そしたら伊沢さんが「(私)がそんなことされて黙ってられるかよ。」って覚悟を決めた様子で言って私に熱い口づけを(以下略、伊沢さん、伊沢さんのファンの皆様、本当に申し訳ございません)。そして私も意を決して付いていくの。‬

で、駐車場に止まってる車に犯人が乗ってるのが見えた瞬間、さっきまで行くのやめようとか言っていた私が突然怒り狂ってしまい、凄まじいスピード感で相手に殴りかかってしまう。

まず運転席の窓ガラスを肘って割って、そのガラスの破片で犯人に斬りかかりに行くまでが3秒。

その後、運転席に乗り込んで電柱などに車を数回思いっきりぶつけて車を大破させるまでが10秒。

極め付けに犯人の男性器を握り潰そうとしているところで、命からがらやってきた伊沢さんに引き剥がされた。

私は息を切らしながら「被害届なんか出そうもんなら、お前のこと警察に突き出すからな。こっちは証拠揃っとんねんぞ。」という捨て台詞と唾を相手に吐いて去っていくところで目が覚めました。






いや、最初の甘い展開は????
あわよくば夢の中でも伊沢さんといいことできたかもしれんのに、ほんまなんでなん????

夢から醒めて少し呆然としながら、なぜこんな夢を見たのか考えてみたところ、一つ心当たりがあるとすれば、この動画をYouTubeで見たことだろう。いや、間違いない。

https://youtu.be/7-w2nxPnFXE

もし寝る前にラブロマンス映画でも見ていたらもしかしたら夢の展開が変わっていたかもしれないから、今日はQuiz Knockの動画とローマの休日を見てから眠りにつくことにします!!!

私が見ているのは?

‪半年前くらいに入社してきた台湾の人(Kさんとする)は、日本語不自由ながらに頑張っていて、弱音も愚痴も言わずに前向きに取り組むその姿勢を私は心から尊敬していた。

しかしKさんの体調が優れない日に、他の先輩のサポートを受けながら仕事をしていたら、そこだけを見た人が「全然自分で仕事しようとしてないけど…新人って立場に甘えてるんじゃない?」という旨をKさんの教育係の人に言ってきたらしい。

その人の普段の人柄から、それは嫌味なわけではなく、1つの指摘として、あくまで優しさでその子の教育係の人に伝えてくれたようだ。

‪しかし、普段から「早く一人前になりたいです!」って笑顔で頑張っていて、私が中国語対応に困ってたら嫌な顔1つせずに駆けつけてくれるKさんが、ちょっと体調不良で頑張れないところを見られただけでそう判断されてしまったのはとても悲しいと思った。

それと同時に、私がいろんな人を見て「この人はこういう人」というのをなんとなくその場の雰囲気で決めつけてはいないかとハッとした。

私はKさんが入社した頃から縁があったので、Kさんのいいところや得意なところ、反対に改善点や苦手とするところをよく知っている。

だが、その他の人に対してはあまり関わる機会がないまま、偶然見かけたある一面をその人の全てだと思い込んではないだろうか?

誰だって調子や機嫌のいい時悪い時はあるし、得手不得手もあるのだから、断片的な情報からその人のすべてを決めつけてしまわないようにしたいと改めて思った。

最後に、折角Kさんの話が挙がったのでKさんの素敵なエピソードを紹介したいと思う。

ある日、他会社のおじさんに、ぶっきらぼうな訊き方をされて、その日本語の意味がわからなくて戸惑っていた。

噛み砕いて何度も説明してもらって最終的に理解できたみたいだけど、私が思わず「Kさんがネイティブじゃないのわかってるのになんでそんなわかりにくい言い方するんだろうねぇ!」ってボヤいた。

するとKさんは「でもあの人のおかげで新しい単語1つ覚えられました!」って笑いながら言っていて、あまりの眩しさにムスカ大佐になった私だった。

誰も幸せにならないけど優しい話

表題の通りの話をする。

私はスポーツ推薦で高校に入った為、本当に遊ぶ暇がなかった。(田舎だったのもある)

ある日、中学生の頃から履いていたローファーのサイズが合わなくなっただとか、壊れただとか、理由までははっきり覚えていないが、要は買い換えなくてはいけないタイミングがきた。

しかし、当時は6:24の電車で朝練に行って、スポーツ推薦なのに特進クラスにいたから朝練後に早朝授業を受けて、放課後に死んだ目で部活をして、帰宅は大体20:00〜20:30。帰宅後に授業の予習復習をして寝る、といった生活をほぼ毎日繰り返していたため、いかんせん、自分でローファー買いに行く時間が本当になかった。

なので、母が変わりに買ってきてくれたのだが、これが悲劇の幕開けだった。

詳しくは覚えていないが、買ってきてくれたローファーがそれまで使っていたブランドと異なり、サイズが絶妙に合わなかったのだ。ただ私は、母が折角買ってきてくれたのだからと我慢しようとした。通学の時しか履かないし、田舎だから電車はいつも空いてるし、まぁちょっとキツいけどいっか、って履いていた。

しかし、ひょんなことでそのことが父に発覚し、「サイズ合わんくてローファー買い直したのに、それがキツいんやったら意味ないやん」って話になってしまった。

母も働いていて忙しい中買ってきてくれたのでムッとして、「23.5cmって言われて買ってきた。それがいいと思った。」と。

しかし父は「それはお母さんが決めることちゃうやろ!」と一蹴。

母はいつも穏やかな父に少しキツく言われたことと、サイズが合わなくて足が痛いと言っていた私のことを思って、泣いてしまった。

それを見た父も、言い過ぎてしまったこと、母が泣いてしまったことに後悔して泣いてしまった。

更にそれを見た私も、なんかわからんけど私のせいで両親が泣いてると思うと悲しくなってきて泣いてしまった。


・・・収拾がつかなくなってしまった。


そこでリビングに彗星の如く現れたのは、前回のブログで紹介した少し変わった兄。

家族4人中3人が泣いている状況を見てただならぬ雰囲気を感じ取った彼が放った一言は「うわっ、泣いてるwww」というデリカシーのかけらもない台詞だった。

しかし、そのデリカシーのない一言で3人ともハッとして、和やかな雰囲気に戻ったのだ。

結局ローファーは履いている内に多少は馴染んできたので、まぁいっか〜というゆるい結論に落ち着いた(それでも窮屈さがないと言えば嘘になるが)。

母がわざわざ買ってきてくれたのに申し訳なかったし、父は父で私のことを思っての言葉だと思うといたたまれなかった。だから私が我慢するほかないんだと思ったし、何より当時の話になると両親共々「ごめんなぁ…」とまた泣きそうな顔をするので、もうこの話は切り出してはいけないと思っている。

でもこの話をブログに書こうと思ったのは、私がこれだけ親に愛されているという事実がとても嬉しくて幸せなことだからである。

今回は誰も幸せにならない話だったけど、でもそれはそれぞれの優しさが屈折してしまっただけ。表題の通り、誰も幸せにならないけど優しい話。

一人暮らしで、最近時たま凄く孤独を感じることがある。そんな時にこのブログを読み返して、自分が確かに愛されて育ってきたということを思い出すきっかけにしたいと思う。


最後に、兄の登場シーンを「彗星の如く」と言ったけど、慣用句の使い方絶対間違っていた気がする。そんな華やかなものでは決してない。「彗星の如く」というも、あたかも私たちを救うためにやってきたように解釈されてしまうけど、あれはどちらかというと、お菓子を食べにリビングに降りてきた様子だった。

クソリプとお兄ちゃん

Twitterで、所謂✌️クソリプ✌️に至極丁寧に対応している人達を見るたびに思い出すことがある。

それは私が‪小学校5年生の冬頃だった。

その当時、「お友達の名前と住所を教えて」っていう悪質な電話が流行っており、学校では「絶対に答えず親に電話を代わるように」と言い付けられていた。

私はその電話が家に掛かってくること、ましてや個人情報を流出させることの恐ろしさまではわかってはいなかったが、大人達の真剣な顔つきを見て、ただならぬ雰囲気を感じてはいた。

そんなある日、満を持してその電話が私の家に掛かってきた。

「あ、これ、学校でみんなが言ってたやつ…」とすぐにわかったが、親は共働きで、その時家にいたのは、当時中学三年生のお兄ちゃんだけだった。今思えば受験生のはずなのに、私の遠い記憶によるとその時はゲームをしていた。よく高校に受かったな。

先生達は親に代わるようにと言っていたけど、親がいない場合はこの一見頼りなさそうな兄上に変わった方がいいのだろうか?

一瞬戸惑ったが、自分が対応しきれる自信もなかったので、恐る恐るお兄ちゃんに対応をお願いした。

お兄ちゃんは「お?」と言って受話器を取って相手の話を少し伺った後、大きな声で


「はーーー!?!そんなん知らんわボケーーー!誰が言うかバーーーーーカ!!!!アホ〜〜!!!!うんこうんこうんこ〜〜〜〜〜〜!!!!!!ぴぇ〜〜〜〜wwwwwww」


とだけ言い放ってから一方的に電話を切って「はい」と私に返した。

私はあまりの勢いとその稚拙さに茫然と立ち尽くしたが、お兄ちゃんはそんなの知らん顔でまたゲームの世界に戻ってしまった。



後に私が大学生、お兄ちゃんが社会人(なんと、看護師!)になった頃に当時の話をするも、当の本人は全く覚えていなかったが、「真っ当な対応やんけ」と開き直っていた。

思えば、友達の家には断っても断っても同じ電話が何度も掛かってきていたようだが、私の家にはそれ以降一度も掛かってこなかった。今思えば子供にあれほど馬鹿にされて相当ムカついたんだと思う。

確かに、分別のつかない子供に個人情報を訊き出すような大人に対して、真面目に向き合っても仕方ない。

どこから我が家の電話番号を入手したのか、どうしてそんな悪どいことをするのか、お前達は一体どこのどいつなのか。

大人になった今の私には奴らに問い詰めたいことは山ほどあるが、訊いたところではぐらかされるのが関の山。真面目に向き合うのが馬鹿馬鹿しくなってくるはずだ。それならばいっそ、とことん馬鹿にしてやればいい。

これはクソリプに関してもある程度当てはまると思う。

真のクソリプとは文字通りクソであり、私達がわざわざ同じ土俵に降りてあげて、わざわざ闘ってあげるまでもないのだ。

「しょっかしょっか〜〜wwww顔真っ赤だけど大丈夫でちゅか〜〜??wwww嫌だったんでちゅね〜〜wwww僕にはこの話題はちょっと早かったでちゅか〜〜?wwwwお家でママのおっぱい飲んでオムツ変えてネンネしましょうね〜〜wwww」って返事してブロックしてあげればいいのだ。

当時は茫然としたが、生きる上で(?)大切なことを教えてくれたお兄ちゃんに今は感謝している。

冷静さと想像力の豊かさについて

主に中高生を形容する場合に頻繁に使用される「多感」という言葉。確かに感受性や想像力豊かだったと思うけど、それは今もほとんど変わりない。

もっとも私の場合は、想像力というよりは、妄想や幻想に近いもの。様々なことに対して経験がないから、いろんなことを想像(妄想)を膨らませて胸を踊らすのだ。

ちなみに高校生の頃によくしていた妄想は、成宮寛貴似の35歳のイケメンエリート会社員と恋に落ちるとか、成宮寛貴似の孤独な美少年と逃避行するとか、成宮寛貴似の一橋大学の家庭教師に数学を教えてもらうとか。文字にすると改めて馬鹿馬鹿しく思う。だって、女子高生に手を出す35歳の会社員とか、今だったら絶対に関わりたくない。あと、一橋大学に拘ったのもよくわからない。多分一番名前のかっこいい名門大学だったからだと思う。本当に義務教育を受けたのかと疑うレベルで思考が稚拙。
ただ、成宮寛貴くん縛りに関しては異論はない。彼は私の中で永遠に憧れのイケメン像であり続けるだろう。

あの頃から今に至るまでの間、大恋愛をしたり、留学をしたり、失恋したり、就職したりした。全てが初めてのことだった。今まで何回も妄想に妄想を重ねてきた分、いざ自分のこととなると良くも悪くも夢を見ているような気持ちになり、感情が大きく揺れ動いている中でもどこかその状況を客観視している自分がいた。

「こんなことがあったら…」といろんな妄想をしていたおかげ(?)で、実際そういった場面に遭遇しても比較的冷静でいることができた。幸か不幸かは一概には言えないが、全ては自分の妄想癖のおかげだ。だから、どんな場面でも冷静でいられる人間は、意外に妄想癖のある夢見がちな人間なのかもしれない。

ちなみに最近の妄想は、小学生の頃から細く長く付き合いを続けていた相手と、遠距離恋愛の後、プロポーズされるという話。最初はただ、ピュアな小学生が両想いになるという微笑ましい話だったのに、いろんな試練を想像していく内にかなり凝った構成になっていった。また機会があればブログに詳しく載せたいと思う。