オチのないただの幸せの記録

実家に帰省中である。といっても、今の家から実家までは、新幹線を使えば早くて2時間ほどで帰ることができるので、大層に言ってはみたものの、3ヶ月に一回くらいは帰っている。

友達が少ないので、基本的には帰省というのは「家族、とりわけ親との時間を過ごす」のがメインになる。

一度離れてみるとよくわかるが、親はどんどん年老いていく。最近は特に「こんなに小さかったっけ?」とか「こんなに白髪多かったっけ?」と感じることが多くなった。

親が先立つのは自然なことだし、むしろそうでないと親不孝だとは頭ではわかっている。しかし、いつか来るその時のことを想像して「もっと一緒に過ごせばよかった」と後悔してしまうのではないかと不安になったり、無性にやるせない気持ちになったりするのだ。

今回は中々双方の都合がつかず、一緒に過ごせる時間がほとんどなかったが、兄も含めた家族4人で美味しいランチを食べ、その後は兄と私が通っていた中学校の桜を見に行った。上着いらずの花見日和で、花粉に苦しみながらもゆっくりと過ごすことができた。ぽかぽかとした陽気の中で美味しい食事や花を堪能すると、まるで夢の中にでもいるような気持ちになりボーっとしてしまうのだが、このボーッとした思い出はずっと私の記憶に残るのだろうなと思った。

実をいうと、春には甘酸っぱい出会いと別れの思い出がたくさんありノスタルジックな気分になることが多いのだが、今日、幸せな思い出を追加することができたので、今後を生きる大きな糧になったと大袈裟ながら思う。

帰宅後は少し疲れたので、暖かい西陽が差し込む自室で目を閉じていた。田舎で、かつ山の麓なので、聞こえてくるのは電車や車の音ではなく、近所の子供達の遊ぶ声や鳥のさえずり。私にとって、それすらももう当たり前ではなくなってしまったことに気付き、少しばかり憂鬱な気分になったが、気持ちよく昼寝をしている内にそんなことはどうでもよくなった。

夕方には母親と近所のスーパーに夕飯の買い出しに、滋賀県発祥のスーパー「平和堂」へ行った。久々に見ると妙な可愛さがあったので、平和堂ロゴマークを撮ってみたが、やはり私は写真の才能が皆無である。

夕飯時は手伝いもせず文句ばかり垂れる兄と口論にもなったが、温かいニシン蕎麦を食べている内にそんなことはどうでも飯田橋になった。ニシンの甘さと原料郭の黒七味のピリッとした風味の絶妙さに、舌鼓をうった。

就寝前、母親の髪の毛をドライヤーで乾かしてあげた。私の剛毛とは違って、柔らかくて細くて繊細な母の髪を傷つけないように、優しく優しく触れた。「痛くない?熱くない?」としきりに聞く私に対して母は「優しくてすっごい気持ちいいよ」と答えてくれた。

父も母も明日は早くに仕事に行ってしまい、帰宅する頃には私も今の家に帰ってしまう。それぞれに挨拶をした私は今、自室で雨の音を聴いている。

今の一人暮らしの家の周りはコンクリートアスファルトしかない。雨が生い茂る木々や葉にあたり零れ落ちる音もなければ、雨があがった後の土や葉っぱの濡れたジトッとした匂いもない。勿論、駅やスーパー、コンビニに近いのは便利だけど、実家から離れた知らない街で一人暮らしをすることで、改めて実家の良さを感じることができた。何か特別なものがあるわけでもない、でも私という人間を形成したすべてがここにはある。

ここまで自分の感想を述べて気付いたが、冒頭で帰省について「家族、とりわけ親との時間を過ごすのがメイン」と言っていたが、この実家をとりまく自然環境というのも大切なエッセンスになる。

「実家どこだっけ?」と聞かれる度に何もない田舎の地名を言うのが恥ずかしいと感じることが正直なところ多かった。でも今は胸を張って言える。ここが私の幸せな思い出が詰まった場所だから。

0318の夢と青春の話

今日は仕事が休みだったが、明日は超早という「タクシーで出社して4:30から仕事」という鬼のような勤務なので、早く寝るためにも有意義に過ごしたかったのに、二度寝して起きたら14時だったので絶望した。ダラダラするの大好きだけど、最近は時間が勿体無く感じるようになり、ダラダラしていても以前ほど満足度が高くないのが残念。

前置きが長くなったけど、今日は心臓の奥がキュッとなるような哀愁漂う夢を見たので、今の感情を記録に残したいと思う。

簡単に言うと、もう一度高校生をする夢だった。同じ高校に入学していたのだけど、あの頃と違うのはスポーツ推薦で入学していないということだった。つまりは、部活に入ってもいいし、入らなくてもいい。夢の中では「えー!部活どうしよっかなー!?」と飛び跳ねていた。2度目の高校生活、絶対に楽しんでやる!と意気込んだところで目が覚めた。

ここからは自分語りをしつつ、心の奥底に眠っている感情と向き合おうと思う。

中学時代に剣道で近畿大会出場を果たした私は、高校へスポーツ推薦で入学し、辛く苦しい2年半の部活生活を耐えた。中学生の頃は恩師とチームメイトに恵まれており、剣道が好きだった。だから全中じゃなくて近畿大会で終わってしまったのが悔しかったから、高校で念願叶えるために強豪校に入学した。しかし、高校の顧問やチームメイトとどうしても馬が合わず、いつしか私の目標は「インターハイ出場」から「早く引退すること」に変わっていた。そしてあれから数年経った今でも、インターハイに出れなかったことへの悔いはない。部活を通して得たものは確かにあったが、それは過去の自分の苦痛を否定したくないが為の言い訳に過ぎないのではないかと思う時もある。そして、部活さえなければもっと楽しくて輝かしい高校生活、もっと言えば、朝ドラのヒロインのような青春を過ごせたのではないか、という情けない後悔を未だに抱いている。

もう一度、高校生活を送ったところで私という人間は高校生の頃から殆ど変わっていないし、「朝ドラのヒロインのような青春」を過ごせたかどうかは怪しい。それでももう戻らない時間に対して、やけに哀しく、もどかしく思う瞬間があるなんて、あの頃の自分は思いもしなかった。もしかすると、今日のような14時まで寝て絶望するような休日をふいに思い出し、懐かしみながらも「もっと有意義に過ごせなかったのか」と悔やむことがこの先あるかもしれない。

0314夢日記

メリーポピンズ リターンズに出てくるトプシーがメリル・ストリープと聞いて「あらやだ!メリル・ストリープってあんな突飛な役もできるのね!素敵!」って思った。だからか、トプシーみたいなヤバめのおばさんが夢に出てきた。

トプシーの身長をもっと低くして、白髪のおかっぱにした不審者が学校(何故か小学生という設定)にやってきて、「あそこで人が倒れてる!!!なんとかしな!!!」と言ってきたり、英語があまり話せないと「そんな英語力でどうする!!!」と言いがかりをつけてくる。しかもめちゃくちゃ至近距離で怒鳴ってくる。暫くすると気が済んでどっか行くみたいやけど、怖すぎる。そんなトプシーに追われて逃げまくる夢。悪夢だった。

そこで一旦起きたが、また寝てしまって、今度は寝坊して仕事に遅刻する夢だった。妙にリアルで最悪だった。

元々今日の勤務が13:15〜やったけど、夢の中で13:48に起きていた。すぐに会社に電話したら女神様みたいな上司が「これから電話しようかと思ってたんです、体調悪いですか…?」って心配してくれて「違うんです、寝坊しました…!!!今から急いで行きます!」と大声を出す夢だった。

夢の中くらいゆったりと過ごさせて切に願うけど、夢というのは「脳内の記憶を精査するために見るもの」と聞いたことがあるので、よっぽど私の頭の中がとっ散らかってるのだと思う。部屋だけでなく脳みその中までこんまりメソッドで片付けられたらどんなに楽だろう。

「この記憶(苦い記憶)はときめきますか?」
「(嘔吐しながら)ときめかないです」
「では感謝をして、捨てましょう」
「はい、今までありがとう(ポイ)」

こんなくだらないことを日々考えているから、変な夢を見るのだとヒシヒシと感じるばかりである。

音と香りと記憶のかけら

ある時毎日聴いてた曲を、いつしか飽きて聞かなくなってしまうことはよくある。

また、ある時毎日つけていたヘアフレグランスやボディークリームなども、中身がなくなったタイミングで全く別のものに変えることもよくある。

そんな曲や香りと何かの機会で再会した時、当時の情景や心境を思い出して胸がキュッとなる。その少し切ないしんみりとした感情が私は大好きだ。

なんでこんなこと言い出したかというと、昔片思いをしていた時に聴いていたaikoの「ナキムシ」と「二時頃」という曲を久方ぶりに聴いたから。
あの頃は彼のことが大好きで、心から尊敬していたから、念願叶って付き合った後も自分に自信が持てなくて苦しい日々が続いた。時間が経ってから改めて聴いてみると、幸せなようで常に不安だった日々を思い出す。そしてもう痛いほど誰かを好きになることはないのかな、とちょっぴり寂しい気持ちにもなる。まぁ実際はセンチメンタルな顔して自分に酔ってるだけなんだけど。

ちなみに「さつまりこ」というお菓子の匂いを嗅ぐと、小6の修学旅行に持って行ったことと、当時音楽の授業で吹いていたリコーダーの曲を思い出す。ついでに図工の時間に余った材木を丸くして「いぼ」とか言って鼻につけてたことも思い出す。つらい。

不透明な世界

(入社後3ヶ月頃の記事が下書きに残っていた。支離滅裂かつ憂鬱な内容だけど、文章を書くことで不満を解消していたんだと思うと100万周まわって面白かったので公開します。)

仕事が辛い。何が辛いのかがわからなかったけど、ぼんやりと思っていることがある。


「先が見えない。」


思えば今までの人生、長期的な目標に併せて短期的な目標が必ずあった。

具体的かつ達成したいと思える目標を掲げることで、それまでの過程を細分化し自分で考えて行動できたし、頑張ることが楽しいことだと実感できたのだと思う。

今の仕事で達成したい目標がないのが現状。これは痛感してることだけど、やりたいことがないと、目標を求められても抽象的なことしか答えられない。そうすると、長期目標を達成するための短期目標も掲げることが難しくなり、今やっていることが後々結果に繋がるという実感を得られないまま仕事することになる。やり甲斐を感じられず、仕事が辛いと感じる原因はそこにあるのだと思う。

達成したいと思える目標を考えればいいのだろうけど、それができないから困っている。

そもそも今の職場で働きたいと思ったのは、営業などお金が絡むと利益が重視され、人のことを思う気持ちが薄れるような気がして、お金をほとんど取り扱わない接客業を探したことがきっかけだった。

この紹介してきた元親友(話すと長い)は空港が大好きで、空港で働くことが至上という考え方だったし、それに多少感化されていたのも事実。

中途半端な憧れと理屈をこさえて入るには過酷すぎる業務内容だったかもしれない。お客様からもエアラインのスタッフからも無下にされ、なにも嬉しくないのにニコニコ笑って、なにも悪くないのにペコペコ頭下げて、私はこんなことのために今までの人生努力してきたのかと思うとゾッとする。

排便と少女漫画が繋がる瞬間

突然だが、個室のお手洗いに入った時、その前に使用した人の大便の臭いが残っていると嫌な気持ちになるのは万国共通だと思う。
ただその嫌な気持ちを分析すると2つに分かれる。一つ目は単純に 「他人の大便の臭いなんか嗅ぎたくない」という感情だ。いたってシンプル。無印良品のようにシンプル。いや、ウンコの話から無印良品に飛躍すな。

もう一つは「私が大便をしたって思われるの嫌だな」という懸念である。公衆トイレなどでは後から入る人に知り合いなんてほぼほぼいないのに、何を気にしてるんだって話だけど、気にしてしまう。

色々と考えていくうちに、根本は「私が大便をしたわけじゃなくて、他人の大便やのに、臭いと思われること」が原因な気がしてきたので、様々な葛藤の末、私は一つの結論を出した。私がウンコをすればいいと。

他人のウンコやのに臭いと思われるのが嫌なら、自分がウンコをすればいいじゃない。マリーアントワネットもびっくりの理論である。

そしてその瞬間、断片的な少女漫画の記憶が突然蘇った。それは、とある高校生の男女の話。女の子が「ねぇ、私達が付き合ってるって変な噂が流れてるみたい….」と言うと、男の子が「噂を消す方法を教えてあげる。それは噂を事実にすればいいんだよ。」とキスをするのだ。

ウンコから無印良品に飛躍するだけでは事足りず、ウンコから少女漫画に飛躍させてしまう自分の脳みそに驚きが隠せない。今回感じたことは、ふとした瞬間に全く異なるもの同士が繋がりを持つ瞬間の微かなアハ体験のようなものと、自分の思考回路の程度の低さだった。

臭いの自覚

ワキガの人間は、鼻の機能をシャットダウンするような強烈な臭いに気付かないという。だから、私も気付いてないだけだけでもしかしたらワキガかもしれないのだ。ちなみに、会社の先輩で2人、ワキガのような人がいる。1人は疑惑で、もう1人はほぼ確信している。

頭や足の臭いに関しては自分で気付く。汚い話だが、私は風呂に入った後の髪の毛を乾かしたりする一連の行為が面倒なあまり、休みの日には当たり前のように風呂に入らず一日中引きこもっている時がある。でもそんな時、頭と足が臭いと感じる。頭はなんとも言えないムッとした臭いで、足の臭いに関しては割愛する。ちゃんと臭いことを理解しているつもりだ。だから引きこもっているのだ。決して威張ることではないが。

では、口臭はどうだろうか?接客業をしていると、時たま「胃で下水の処理でもしていらっしゃるのかな?」ってくらい吐く息が臭い人がいる。(もし本当に胃で下水の処理をしていらっしゃるのであれば、そのおかげで便利に暮らせていることに感謝しなくてはいけない。)

気のせいかもしれないけど、ドブみたいな口臭する人は比較的顔が近くて、この前Twitterで見た「アナタクチクサイ!」と叫んだ外国人みたいになってしまいそうになるのを必死で堪えている。

ああいう方々は自分の口臭で気持ち悪くなったりしないのだろうか。ワキガと同様に自覚症状がないのだろうか。そうすると、私もひょっとすると人の健康に害を及ぼすレベルで脇や口が臭い可能性もゼロではないのか。

そう思うと、人間持ちつ持たれつで生きてるんだなと実感するし、臭くても黙っていてくれる友人同僚家族には頭が上がらない。日々疑問に思うくだらないことをそのまま言語化すると、私が脇も口も頭も足も臭い最悪な女みたいになってしまったのが納得できないが、今日はそんな身の回りの人たちへの感謝の気持ちを抱きつつ、念入りに歯と脇と頭と足を念入りに洗おうと思う。